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日本最大・吉備岡山最大の古墳(前方後円墳)発見!?

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●日本最大・吉備岡山最大の古墳(前方後円墳)発見!?
 堀藏歴史探検隊(堀川昭三隊長・福山市)が、三野堀藏古墳(仮称)(三野公園丘陵/岡山市三野本町)を日本最大の古墳・前方後円墳の可能性が高いとしたのは、藏元照さんの観氣学による温泉探査をきっかけとして、この丘陵の天神社磐座(いわくら)後方に玄室(棺をおさめる部屋)と羨道(地下通路)と推測される地下空間が約150m延びていることが確認されたことがはじまりでした。
 その後、地形、古代史、言い伝えなどの調査で日本最大の前方後円墳の可能性は高まっています。

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◎マップでは、地名の取り除き、拡大、縮小、地形、地図の確認ができます。

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●日本最大の古墳発見のきっかけは観氣学の温泉探査
 観氣学の藏さんのこの丘陵との最初の出会いは、三野公園付近に温泉がでないだろうか?との相談がきっかけでした。(温泉についての判断は、可能性はあるとの結果。)
 その時のグーグルなどの航空写真や地図の形状から、三野公園丘陵は前方後円墳ではないかと堀川さんが言い出しました(航空写真を見たらほとんどの人にそう見えるでしょう)。しかし、大きさを確認すると丘陵は約600mもあり、日本最大・世界最大の大仙陵古墳(伝仁徳陵)をはるかに超える巨大なものでした(この大きささは常識的に考えれば、あり得ないこと!でしょう)。
 
 古墳として大きすぎる。と考えたのですが、現地は確認しておこうということになりました。堀藏探検隊は2006年1月に現地調査にでかけました。
 現地に近づくと、古墳推定地の規模の大きさにあらためてビックリ!それは小山というより山というべきものでした。
 
 そして、最初に行った頭頂部の探査(神社境内)では、地下空間は発見されませんでした。(玄室があれば頭頂部のはずだから。やはり、前方後円墳に似た山だったか・・・落胆・・・安心・・・やっぱり?)
 
 しかし、その帰り際、丘陵の中心あたりで、エエ!・・・こんな場所にこんな広い水脈がある・・・そんな馬鹿な・・・この丘陵のほぼ中央を東西に横切る約13mの幅広い水脈の発見です。
 すぐに水脈を追って探査を再開。その結果、地下水脈は東は旭川につながり、この丘陵を横切って西の岡山市側に流れていることがわかったのです。(これは人工的に埋められている・・・!やはり古墳の可能性が高い。)
 夕暮れになり、この日の探査はひとまず終了。しかし、興奮さめやらず・・・ホンマでしょうか!(これが古墳だったら、大変なこっちゃ・・・)

 その日帰って、改めて地図と航空写真で後円部の中心を確認したところ、神社の境内が中心より西側にづれていることがわかりました。(神社境内は中心ではなく西寄りに位置している。玄室は神社境内の東よりにある!ひょとしたら、ひょっとするかも・・・)

 次の日は朝から再探査に出発。予想通り神社東側通路部分で地下通路らしき空間反応を確認(やはりあった!)。それを追っていくと、部屋らしき大きめの地下空間に到達。さらに地下通路がその部屋から約150m続いていることがわかったのです。(やはり、古墳としか言いようがない。・・・でも、確たる証拠が必要になる・・・。)
 
 

 
●日本最大の超古墳と吉備(岡山)最大の古墳
 日本最大の古墳は、大仙陵古墳(伝仁徳陵)で墳丘長:486mです。
 三野堀藏古墳は現在残っている墳丘部分で600m以上もあります。(前方部がかなり失われている可能性がありますので650m前後あったのではないかと考えられます。)
 岡山の最大の古墳(全国4位)は、造山古墳(つくりやまこふん:岡山県岡山市新庄下)で墳丘長約:350m。岡山の2位(全国9位)は作山古墳(つくりやまこふん:岡山県総社市三須)墳丘長約:278m、同3位(全国39位)は両宮山古墳(りょうぐうざんこふん:岡山県赤磐市穂崎)墳長:200mです。

古墳のおおきさ

●日本最大の前方後円墳発見をめぐって 
 この日本最大(世界最大)の三野堀藏古墳(仮称)とその周辺は、神社、古墳、古代史、民俗学、日本一、町おこしなどに興味のある人々にとって、多面的な価値をもつ吉備古代のスポットです。

 古代史の専門家・岡山の郷土史家の多くの方は、この三野公園丘陵が古墳であることに否定的なようです。否定の理由は、古墳の証拠となる埴輪などの土器が出土してないことによります。が、この古墳から東北に約10キロに位置する両宮山古墳からも土器(埴輪)は出土していません。また、この古墳には葺き石もありません。
 とすると、土器が出土していない、葺き石がないとの理由で古墳であることを否定することは、早計と考えられるのですが・・・。
 
 この丘陵が古墳ではないとした大学の研究者も、この地域は巨大古墳があっても不思議ではない場所(立地)ではある。と語っています。そして、後円部の南側、現在の稲荷社がある場所には小規模な円墳が存在していて、出土物があったとの話も聞きました。
 また、聞き取り調査の結果、地元に三野公園丘陵が巨大古墳であるとの言い伝えや、うわさ話があることもわかりました。
 戦国時代に東の前方部にあたる部分に、山城が築かれていました。
 
 この丘陵が日本最大の超巨大古墳であることを否定するだけの考古学・科学的な決定的な証拠もないようです。
 一方、巨大古墳である。とするには、前方後円墳にそっくりな形状だけでは説得力に欠けるかも知れません。
 しかし、航空写真で見れば誰の目から見ても人工的な造りであり、古墳の地形に見られるテラス(段丘)の気色もあります。
 物理的な形ではどのような角度から見ても、前方後円墳にしか見えません。 一般の方であれば「前方後円墳としか言いようがない形だ。しかし、その大きさを聞き、現場を見ると古墳としては余りにも大きくて信じがたい・・・。」と思われるでしょう。私もその一人だったのですが・・・、さて、皆さんはどのように評価されるでしょうか?


●日本最大の前方後円墳の可能性を探る
 堀藏歴史探検隊がこの丘陵を、日本最大の古墳の可能性がある。とした大きな理由は科学的なものではありません。
 それは、藏元照さんの観氣学による「水脈・地下空間・パワースポットの探査」の比重が高いからです。 
 そこで、証拠となる地下空間を確認するために、岡山のNPO法人が岡山市の公園課にボーリング調査の許可申請をし、数回の話し合い行われましたが調査は許可されていません。(調査費用はNPO法人の負担。)
 探査したものが本当に地下空間であれば、20メートル程度の掘削(ボーリング)で物理的に確認でき、古墳であった場合でもほとんど破壊することはないのですが・・・。
 
 観氣学による探査は科学的とは言えませんが、科学調査や試掘の前段階の調査として使うことで調査リスクを少なくすることができます。今までの実績から、科学的探査の道案内役をすることが十分できることがわかっています。
 こうしたことをふまえて、観氣学をはじめとした探査と調査の内容を見て下さい。

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◎ 三野堀藏古墳を東西に抜ける幅広い地下水脈
 観氣学の探査で三野堀藏古墳の前方部と後円部の間に、約13メートルの水脈が発見されました。こうした丘陵や山等の水脈の幅は1~3メートル以内の場合がほとんどだとされます。ですから、この丘陵の水脈の幅は広すぎるのです。
 藏さんの経験測からすれば、この幅の広い水脈反応は一般的な水脈とは異なり、現在も丘陵の地下に川があることを示しているとのことです。
 この水脈を追って丘陵のふもとで確認したところ、水道(みずみち)は丘陵を南北に横切っていることが確認され、北側の水道は約2キロ上流で旭川本流につながっているといいます。
 つまり、この丘陵の中央部分は人の手で埋められている可能性があるのです。埋められていない場合は、この部分が大きな断層であり、そこが地下水になっているとも考えられますが、それは特別な例になるとのことです。
 また、頂上付近に井戸があったとの話もありましたが、探査では神社境内に水脈はないようです。自然の山を削って古墳はつくられているので、頂上付近は地山だそうです。
※この水脈(地下水路)は、上空からの遠赤外線写真、断層調査、地中電波探査などでも確認できると思われます。


◎玄室(納棺室)、羨道(通路)を思わせる地下空間
 磐座の背後の地下に、約4.5m×7.5mの四角い部屋を思わせる空間(玄室?)があり、そこから幅約3mの通路と思われる空間(羨道?)がはじまっているそうです。通路は全長で約150mあり、出入り口付近の手前約14mから、北に約10度(出入り口から見ると南・左)の角度で折れ曲がっていると言います。
 探査した時、通路が曲がっているのは、その場所が崩れやすいため避けたのではないか。と堀川さんと話していたと藏さんは言っいます。
 この古墳を見学した天文や古代の研究している人は、エジプトのルクソール神殿の入り口・アプローチ部分にも、至聖所を正面にして右に折れ曲がりがあることを指摘しました。これは、悪魔が入るのを防ぐためのものであり、同古墳が同じ様な構造を持っているのは、築造者がこうした文化を持つ人々に繋がるのではないか、と話ました。
 
※ 探査の後でわかったことですが、偶然にもこの出入り口にあたる部分の左右に二本の木が植えてあり、木の前には高さ1メートル程度の頑丈なコンクリートの壁が作ってあります。
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※ 類似する古墳の地下空間確認のため、造山古墳、作山古墳も観氣学による探査が行われました。その結果、両古墳とも三野堀藏古墳と同形式の地下空間(玄室・羨道が)を持っているそうです。
※調査結果は推測にしかなりませんが、地中レーダーや電波探査によっても地下空間の確認は可能です。


◎古墳造営の必須条件は、霊地(パワースポット)であること。
 古墳や神社は力の大小はあるものの、必ず特別な場所(霊地)に立地しているそうです。三野堀藏古墳も山頂の磐座付近に不思議な力が出ている場所=霊威場(パワースポット)があり、ここが霊地であることを証明していると言います。
 藏さんは観氣学からみると、古墳の造成の必要不可欠な条件は「その地が霊威場(パワースポット)である。」ことだと言います。つまり、昔の人々が霊地とした場所に古墳(墓)があることになります。
 では、なぜそこを選んだのでしょうか?との質問に、藏さんは「昔の人はその場所に不思議な力(霊力)があって、この世からあの世へ行く入り口がある。と考えたのではないか。その場所を見つけ出し、墓の位置を決めたのは特殊な能力のある人(巫女・シャーマン)だろう。」と答えています。
 また、神社と古墳の関係について「神社は昔の墓であると考えるのが自然だと思う。古墳がつくられる以前は、三輪山(大神神社・おおみわじんじゃ/奈良県櫻井市)のように霊力のある山に大切な人を葬って、山の霊力の信仰とともに人を祀っていたと考えられる。人間の都合で移設された神社では、そうした力のない場所に建つケースもあり、その場合、元々の神社があった場所が霊地である場合がほとんどだった。」と話しています。
 藏さんの話は、民俗学者の折口信夫が「古墳=神社」との説を立てていることと一致します。


◎ 古墳の北~西側にある西川水路。岡山最大の水路工事の時期は?
 三野堀藏古墳の北側(写真の掘削部分)にあたる西川の流路は、岩盤を掘り下げてつくられています。この水路の整備は岡山では過去最大の土木工事ではないか。との話を岡山の土木関係者から聞きました。
 工事などの記録は残されていないようですが、この西川の水路は藤原氏の荘園時代(9世紀初頭の鹿田の荘)にはすでに存在したようです。
 西川の水路掘削工事が9世紀以前にさかのぼれると、この古墳や周壕築造工事等と関連する可能性があります。

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※水路掘削工事に関する情報を提供して頂ける方があればぜひご教授教下さい。


◎ 後円部東南の変形は、旭川の氾濫による人工部分の土砂流失?
 航空写真で見ると良くわかりますが、後円部東南の「変形」と旭川から延びる「河川の流路跡」と思われる地形が見て取れます。
 後円部東南の変形は古墳築造後、旭川の氾濫時によって埋めていた部分が流失し、元の地山(岩盤)部分の円形形状が変形している可能性が高いと考えられます。


◎ 中腹の道路は古墳テラス(段丘)の名残か・・・
 古墳の後円部北側からすこし登った中腹部に北東方面に延びる幅4m位の道があります。その延長線上には民家があり自動車も通れます。そして、ほぼ平坦です。
 その位置はこの丘陵が古墳であるとすれば、テラス(段丘)あたりになります。
 この道は植生などから見ると、後円部北側が宅地用として開発される以前から存在していたものと考えらます。
 ※後円部北側はほとんど民間所有で、宅地に開発するために数年前にかなり造成工事がおこなわれ、変形しています。この道路部分は工事前のままです。
 工事関係者に出土物について尋ねました。この時の工事では出土物はなかったとのことでした。


◎埴輪・葺石がないのは「吉備の乱」による築造中止?
 『日本書紀』の雄略朝期(5世紀)に吉備前津屋(さきつや)、吉備田狭(たさ)、星川皇子(父/雄略天皇、母/吉備稚姫)など数度にわたる反乱と鎮圧が記録されています。
 両宮山古墳の築造時期は5世紀の中頃とされ吉備氏の乱の時期と一致します。三野堀藏古墳も同時期と考えるなら、両古墳とも乱の失敗によって築造が中止された可能性があります。
 そうであれば埴輪や葺石が出土しないのは、無理なく説明がつきます。
また、三野掘藏古墳の妙見社の本地は北斗七星で、「星川皇子」との関連性も考えられます。天神社(妙見社)と皇族の関係も深く、稲荷社との親和性も注目されます。


◎三野堀藏古墳の拝殿?にあった御崎宮
 戦国大名宇喜多秀家の時代に、旭川河川改修工事により中島から移された御崎宮天神社(三野2丁目6-14)があります。このお宮は三野堀藏古墳の南の拝殿にあたる場所にあったと考えられます。
 また、同社に祀られていた「尾治針名眞若比女咩」(おじはりなまわかひめ、おはりはりなまわかひめ)は「ワカヒメ」です。藏さんが埋葬されているのは「色の白い女性の様な気がする。」と話していたことと不思議に符合します。日本書記によるとワカヒメは星川皇子と一緒に焼き殺されたことになっている雄略天皇の后です。
 この御崎宮は丁度、吉備津神社から北東にあたる場所に位置しています。






※ 色々説明しましたが、「日本最大の前方後円墳」は今のところ推論にしかなり得ません。たとえ古墳でなくても、古代史の大ロマンであることは確かです。
 星川皇子の母である稚姫を主人公にした、岡山発の創作オペラ「ワカヒメ」(作・台本 なかにし礼 作曲 三木 稔 )があります。2007年の再演時に稚姫を演じた池田尚子さんと少し面識があることもあって、「ワカヒメ」のことは知っていました。
 この古墳とワカヒメが繋がってきたのも何かの縁かも知れません。
 ※同丘陵には国道のためのトンネル掘削計画があります。関連調査で日本最大の古墳であることが確認される事を期待したいと思います。


●パワースポット/三野本町「天神社(妙見社)」
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